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レオパルド・ゲッコーのお散歩写真

その辺の道ばたで撮ったお散歩マクロ写真など・・・

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OLYMPUS OM-D E-M5について思うこと。 

久しぶりの記事です。
わたしの主な被写体はその辺で出会った生き物であるため、この時期はお散歩写真愛好家としては生き物たちと一緒に冬眠しております。春になったらどうしようかなと想像を巡らすのがこの季節での写真関係の唯一の楽しみなのですが、今回ようやくオリンパスから待望のEVF内蔵マイクロフォーサーズ機が発表されたので思うところをつらつらと書いてみます。
以下、あくまでわたしの視点から見たE-M5評です。

<良さそうなところ>
・5軸手ブレ補正
これは撮影のほとんどが手持ちマクロであるわたしにとっては非常に魅力的な機能。理屈はよくわかりませんがどうやらマクロ領域でも効果がある方式のようです。レンズ交換式カメラとしては世界初の機能であるようで、どれほどの効果があるものか想像もできませんが期待は出来そうです。
・防塵防滴
悪天候で撮ることはあまりないのですが、雨が降っても撮影を諦める必要がないということは撮影チャンスが増えるということですから悪い話ではありません。
・センサーの性能
これはまだ確定ではありませんが、ネット上でぼちぼち出始めた画像を見ると高感度画質は良さそうです。若干絞ってマクロ撮影をすることが多いので、ISO800あたりが常用できれば撮影の幅が広がります。
・コマンドダイアルが前後のツインダイアルになった
E-P1を見た時の衝撃の一つが、背面に2つコマンドダイアルがあることでした。このカメラをデザインした人はマニュアル撮影をしたことがないのだろうかとすら思いました。それがようやく前後ダイアルになったので一安心です。
・バッテリーグリップの仕様が面白い
個人的にはバッテリーグリップの必要性はあまりないのですが、縦位置グリップの部分を取り外して単なる外付けグリップとして使えるところがアイデア賞ものだと思いました。E-P2まではグリップのデザインを真面目にやるつもりがあるのか疑問に感じていたのですが、E-P3からはグリップも重視されてきたようなのでこれも一安心です。また、本体のグリップ形状に関しても、ミラーレスカメラではファインダーを見ながら構える時はしっかりグリップできてライブビュー撮影の時はある程度手首が柔らかく使えるものが理想ですが、画像で見るかぎりは控えめながらも悪いものではなさそうです。
・各種ボタンがシンプルにまとまっている
大手メーカーの一眼レフであってもボタンがただ単に縦に並べてあるだけとかあちこちにボタンが散らばってしまって何が何やらわからなくなっているものも多いのですが、E-M5のボタンは非常にシンプルかつまとまって配置されているところに好感が持てます。手持ちマクロ撮影はぎりぎりのところで微妙な操作が必要になることも多いので、指の動きが必要最小限で済む配置のボタンはとても助かるのです。
・ファインダーと背面モニターの表示切り替えがアイセンサー式
パナソニックがDMC-G1で始めたこの方式は今では当たり前の機能となりつつありますが、これは非常に便利なものです。ファインダーから背面モニターにシームレスに移れるのはミラーレスカメラならではのメリットです。ちなみにDMC-G3にはその機能がないのですが、これはG3の最大の失敗だと考えています。
・マグネシウムボディ
この辺にはそれほどのこだわりはなくマグネシウムでもアルミパネルでもプラスチックでも木製でも良いのですが、どうせ使うなら金属製の方が多少は気分が良いかなと。

<イマイチだと思ったところ>
・背面モニターがバリアングルではない
これは今回最大の残念ポイントでした。縦位置でローアングルやハイアングルを多用するわたしにとってはバリアングルモニターでないのは致命的と言ってもよいダメージです。これがためにE-M5の購入を断念するかどうかというところです。オリンパスはフォーサーズではバリアングルを採用してきたのでm4/3でも採用すると信じて疑っていなかったわたしにとっては大きな衝撃でした。
・デザインが何故OM?
ノスタルジーにはあまり興味がないわたしにとっては外観上のOMの復刻というのは今ひとつ心に響きません。OMシリーズは一眼レフの中では格好良いカメラだとは思いますが、それを2012年になって復刻する意義も感じられません。決してOMの見た目が嫌いなわけではないので悪いことではないのですが、どうも今回のE-M5は見た目をOMっぽくするためにデザイン上いくつか犠牲になってしまったポイントがあるように思われます。
例えばファインダーとホットシュー周りがミラーレス機としてはかなり上に出っ張ってしまいましたが、これはOMをイメージしたためにこのくらい出っ張っても構わないんじゃないかという判断だったのではないでしょうか。また、背面モニターがバリアングルではないのはパカンと開くモニターがOMの外観にそぐわないと判断されたのではないでしょうか。だとすれば、わたしにとってはデザインの基調がOMであるのはむしろデメリットです。
・モードダイアルが背面から見て左側にある
右側にあればカメラを構えたままで右手の親指で操作できますが、左側にあるとダイアルを操作するだけのためにどちらかの手をいったん離さなければなりません。何かの操作のために構えを崩さなければならないというのはギリギリの撮影をしている時には非常に大きなデメリットとなります。これもE-P2まではモードダイアルの意義がよくわかっていないのではないかというデザインだったのがE-P3でようやく改善されたのに、また逆戻りしてしまいました。これは背面のコマンドダイアルを十字キーの位置に持ってくれば解決できる問題なので、次機種では普通の位置に持ってきて欲しいものです。
・ファインダー倍率が小さい
小さいとは言っても1.15倍とフォーサーズのフラッグシップであるE-5と同じなので十分だという見方もできますが、同じマイクロフォーサーズのDMC-GH2では1.42倍といわゆるフルサイズ一眼レフ並の大きさがあります。ファインダー部の体積が小さくても大きな視野を得られるのがミラーレスのメリットですから、EVF内蔵機ではそのメリットをフルに活かして欲しかったところです。

普通にスナップカメラとして見れば面白いカメラだと思いますが、わたしの用途だとどうしても厳しめに見ざるを得ません。画像やスペックを見ただけの段階ですが、現時点の感想では使えるか使いないか微妙なところかなと。
いろいろと書きましたが、後は実機が出るのを待って実物をいじり倒した上で購入するかどうかを改めて検討したいと思います。

Posted on 2012/02/13 Mon. 22:05 [edit]

thread: デジカメ

janre 写真

tag: カメラ  マイクロフォーサーズ 

めちゃくちゃすごいモノ。 

Flower
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

前回の記事を書いた時からずっとスティーブ・ジョブズ氏(以下、敬称略)のことが頭から離れないのですが、せっかくなのでジョブズとマイクロフォーサーズを半ば無理やり関連付けて考えてみたいと思います。ついでにわたしの好きな(ジョブズも好きだった)ビートルズも絡めて考えてみます。

マイクロフォーサーズ、スティーブ・ジョブズ、ビートルズ、この3者はそれぞれまったく別のものに見えますが、共通しているのはそれぞれの分野で強烈なイノベーターであるということです。ジョブズは「人々は自分の欲しいものが何なのか見せるまでわからないものだ」と言っていましたが、こういう姿勢がイノベーターには共通しています。

ビートルズ以前には彼らが作ったような音楽は存在しませんでしたし、そういう音楽が聴きたいと思っていた人はおそらく皆無だったでしょう。彼らが"A Day In The Life"という曲を創り上げた時、それを聴いた金儲けしか考えていなかったレコード会社の社長が椅子から立ち上がれなかったという話があります。あらゆる音楽を耳にしていたであろうレコード会社の社長すら圧倒するほどの衝撃的な曲だったのです。
また、AppleがMacintoshを出すまでは、GUIで操作するオールインワンのパーソナルコンピューターというものを想像する人は皆無だったでしょう。iPhoneが出るまでは、ほぼ完全にタッチパネルで操作する正面のボタンが一つしかない電話を想像する人もいなかったでしょう。
規模こそ違いますが、マイクロフォーサーズにも同じことが言えるのです。

マイクロフォーサーズが出てくる前も、デジタル一眼レフをもっと小型化するべきだとかレンズ交換式のコンデジを作るべきだという声はありました。が、DMC-G1のようなボディを想像していた人はおそらくいなかったと思います。わたしも初めてG1の発表を目にした時は、その真価がわからずにパナソニックはレンズ交換式のネオ一眼を作ったのだと思いました。何と馬鹿で無駄な事をしたのだろうと。
ところが、実物を手にしてわたしの印象は一変します。これは今までわたしが知っていたカメラとは全然違うものだと。信じられないほど高速なコントラストAF、見たこともない視野が大きく高精細なEVF、リアルタイム収差補正、どれも頭がクラクラするほどの衝撃でした。その後のレンズ展開も、7-14mmといった強烈な超広角ズーム、パンケーキレンズとしては驚異的な性能の20mm/F1.7など我が目を疑うような非常識的展開(もちろん褒め言葉です)。

それ以降各社がミラーレスに参入してきましたが、個人的にはそれらにはどうにもイノベーションを感じられないのです。
いかにもありがちな一眼レフに遠慮したサブ用途のボディや趣味性に走ったボディなど、その辺の人が普通に欲しがるであろうカメラばかりで、カメラシステムそのものを次のステージに持って行こうというような気概が感じられません。もちろん普通の人が普通に欲しがるカメラはあって良いですし現実的には必要なものでもありますが、ビートルズやジョブズの信奉者であるわたしにとってはどうにも物足りないと感じてしまうところもあるのです。ミラーレスはそれだけじゃダメなんだと。

イノベーションといっても何でもかんでも新しければ良いというものではありませんし、驚きがあれば良いというものでもありません。が、ミラーレスはカメラと写真の世界を更なる高みに持ちあげてくれるポテンシャルがある分野だとわたしは確信しています。

ビートルズやスティーブ・ジョブズは自分たちの分野で新しい世界を創り出し、結果的に世界を変えました。写真の世界も同じように次のステージに移るべき時期が来たと思っています。各カメラメーカーにはそういう気概を持ったカメラシステムを作って欲しいと願います。

Posted on 2011/11/15 Tue. 13:43 [edit]

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

ジョブズ逝く。 

Common Bluebottle
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 flash: Olympus FL-36R flash diffuser:Omni-Bounce)

今回の写真と本文は直接的関係はありませんが、本日Appleの前CEOかつ創業者であるスティーブ・ジョブズ氏がお亡くなりになったとの発表がありました。個人的には強烈なショックを受けました。Appleそしてジョブズ氏の在り方はわたしにとって非常に重要なロールモデルの一つだったからです。

わたしがMacintoshとAppleを初めて知ったのはいわゆる第一次パソコンブームの頃、パソコン雑誌を通してのものでしたが、当時の国産パソコンとはあまりにも違う独特のインターフェースは子供心にも強い印象を残し、長年の憧れの存在となりました。実際に実物を自分のものとして使えるようになったのは大学生になってからですが、Windows(当時は確か3.1)とは違う独特の理念や美学のようなものが感じられ、それ以降は少なくともプライベートなコンピューターはMac一筋となりました。
初期MacやMacの元となったLisaのエミュレータなどを通して、Appleの理念はMacのごく初期から現在に到るまで一貫していることを知りました。

わたしなりに理解しているAppleとジョブズの理念とは、構造的にはシンプルでありながらもユーザー体験を重視したものです。わたしが非常に強い影響を受けたのはその部分で、わたしが撮る写真にもその影響は色濃く現れています。
極力奇を衒わないシンプルな構成でありながらも、なおかつ印象的な写真。それがわたしが目指したものであり、その原点はAppleとジョブズにあると言っても過言ではありません。

MacやiPodやiPhoneのようにシンプルでありながらも強く深い訴求力を持つ商品が現実に存在するということは、わたしがそういう写真を目指すにあたって「それは本当に出来ることなんだ」という確信を持たせてくれる非常に強い支えとなりました。iPod touchを手にするたびに「わたしが撮っている写真はこれほどシンプルで美しいだろうか」と自省するための指標にもなりました。

ジョブズ逝去の報を目にして、わたしは若干途方に暮れています。はるかな高みにかすかに見えていた目標が突然になくなってしまった気持ちです。しかし、ジョブズは常にAppleのCEOであったわけではなく、彼は長年Appleを追放されていました。そして、ジョブズがいない時期のAppleも常にAppleらしい製品を作り出していました。これからのAppleがジョブズの遺志を継いだAppleで在り続ける限り、わたしの指標でもあり続けてくれると信じたいと思います。

スティーブ、今まで本当に本当にありがとう。あなたがいなければ今のわたしはありませんでした。
そして、安らかに・・・

Posted on 2011/10/06 Thu. 10:43 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

シンプルライフ。 

Morning dew
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

シンプルな写真が好きです。

シンプルとは言っても、ただ単に構成が単純な写真という意味ではありません。言葉で説明するのは難しいのですが、あえて書くならば、次に挙げる見方がスッとできるような、すっきりとした鑑賞ができるわかりやすい写真です。

まず視点が一直線にピタリと吸い付けられる場所があって、そこから意識を周りに分散させていくときにも楽しめる仕掛けがあって、最後に全体像を眺めたときにバランスを楽しめる写真。全体のバランスは安定していれば良いのではなくて、時にはどっしりと安定し、時には流れ、躍動する。テーマに沿ったバランスを持った写真。
そういった鑑賞の流れがスムーズで一貫していて、なおかつ起承転結のある写真。
スムーズでありながらも見た後に何かが心のなかに残る写真。
一点から全体に到るまで気持ちが入っていて、それが素直に伝わってくる写真。

変な喩えですが、壁も床も全部白木でできた何もない部屋の真ん中にぽつんと抜き身の日本刀が置いてあるような写真。シンプルであるがゆえに余計なものに邪魔をされず、その部屋の木の香り、木目の肌触り、足元のきしみ、刀の肌の冷たさ、刃文の流れ、研ぎ澄まされた空気の中の緊張感、そういうものがダイレクトに伝わってくる、そんな感じの写真。

そういう写真を見たいと思いますし、できるならば撮りたいと願います。

Posted on 2011/09/06 Tue. 15:19 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

蝉を愛でる。 

Cicada
View Large
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 flash: Olympus FL-36R flash diffuser:Omni-Bounce)

まずはじめに、こういう写真が苦手な方には申し訳ありません。(と言っても、見てしまってからでは遅いかもしれませんが・・・(^^; )

マクロで撮って楽しい被写体はいろいろありますが、この時期では個人的には何と言ってもセミです。
マクロの醍醐味は肉眼では見えない細かいものがじっくりと見られること、そして肉眼ではなかなか気がつかない造形的な面白さを堪能できることですが、セミはまさにその両者をとことん味わうことができる最高の被写体なのです。個人的には「お散歩マクロ被写体の帝王」の称号をあげても良いくらいだと思っています。

まず第一に挙げたいのは額の単眼。ご覧のように、セミの額にはルビーのように赤く輝く小さな宝石が3つあります。これが実に美しくかわいらしい。肉眼では本当に小さな点にしか見えませんが、マクロで撮るとその色や形の美しさをじっくりと堪能することが出来ます。これだけのためでも苦労してセミに近づく価値はあります。

そして、全身に散りばめられた金色に輝く小さな毛。拡大してみるとこれがまた実に美しいのです。特にアブラゼミの漆黒とこげ茶のボディに金色はよく映えます。虫を拡大してみるとけっこう小さな毛があるものですが、中でもアブラゼミの毛の美しさは最高クラスだろうと思います。
背中の模様も格好良く、アブラゼミはがっしりとした甲冑武者のような趣がありますし、ミンミンゼミはまるで民族衣装かのような模様がなんとも言えず面白く美しいです。

おでこやボディだけでなく、前から見た顔も忘れてはいけません。ラジエーターのような模様の口が非常に格好良く、単なる模様ではなくて凹凸があるのです。この凹凸がセミの顔を撮る時の大きなポイントです。

マクロシューター泣かせなのは、このセミの造形的面白さを心ゆくまで撮るきるためには一つのアングルではとても不可能ということです。後ろから、前から、横から、斜め上から、斜め横から、あらゆるアングルで攻めなければセミマクロを十分に堪能したとは言えません。高いところにいるセミを下から見上げて撮っただけではセミの面白さの1/100も出せません。セミマクロで一番大変なのは、撮りたい角度に回りこめる位置にいるセミを見つけ出すことかもしれません。

他にはこれは写真には写らないのですが、じわじわと目の前まで近寄った時のセミの態度がまた面白いのです。
セミにもけっこう個性があって、ちょっと近づいただけですぐに飛んで逃げてしまうものや気にしないで鳴き続けるものもありますが、よく見かけるのがとりあえず鳴くのはやめてしばらくじっとした後にじわりじわりと横に歩き出すセミです。このゆっくり歩いて逃げようとしている(?)姿が実に可愛らしいのですね。ヨコバイというセミに近い仲間の虫は近づくと素早く横に歩いて逃げますが、セミの逃げ方は言うなればそれが非常にゆっくりしたバージョンで、のっしのっしと横に歩いて逃げるのです。
「せっかく気持良く鳴いているのにこんな目の前まで近づいたら気が散るじゃないか。やれやれ、もうちょっとあっちの方で鳴くか・・・」とでも言わんばかりによっこいしょよっこいしょと移動していくセミは、追いかけて写真を撮るよりはその動きを眺めていたほうが楽しいかもしれません。このように、マクロ撮影にはあえてシャッターを切らずにファインダーで眺め続ける楽しみもあります。

セミを愛好した芸術家に、「智恵子抄」などで有名な高村光太郎がいます。氏はよほどセミが好きだったらしくセミの造形の面白さについて書かれたエッセイがあるのですが、そこに綴られた彫刻家としてセミを見る視点は我々写真を撮る人間にとっても非常に面白く勉強になるものだろうと思います。
↓こちらがそのエッセイへのリンクになります。短くさらっと読めるものですので、少しお時間があるようでしたら読んでみてください。
蝉の美と造型

そのエッセイにも少し記述がありますが、古代ギリシア人もセミを愛でていたようです。セミを「歌い虫」と呼んだり、地中から出てきて羽化で真っ白に生まれ変わる様を見て復活や不死のシンボルとして考えたり。
はるか昔の遠く彼方に住んでいた人たちが同じようにセミを愛でていたということを知ると、何となく親近感を覚えてしまう今日この頃です。

Posted on 2011/08/15 Mon. 12:09 [edit]

thread: 昆虫の写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  自然 

写真と文章。 

Corn poppy
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

ここのブログは、毎回一枚の写真と文章がセットになっています。写真ブログなのだから写真と文章があるのは当たり前と言えば当たり前なのですが、今回は一見当たり前のように思える「写真に文章をつける是非」について考えてみたいと思います。

ごく率直に書きますと、わたしは本来は写真に文章をつけるのはあまり好きではありません。
文章があるとそちらに気を取られてしまったり、文章の内容によっては写真の印象が変わってしまうことすらあります。これは純粋な写真の鑑賞にとってはマイナスです。写真に限らず、例えば美術館で絵を見る時も画家のプロフィールや様々なエピソードの記述に目を取られてしまい、肝心の絵の鑑賞が疎かになってしまった経験をお持ちの人もおられるかと思います。

故に、わたしは写真を見て欲しい場合にはシンプルに写真のみを並べているFlickrかflickriverへのリンクを示すことが多いです(ちなみに、ここの写真は全てクリックすればFlickrに飛べるようにしています)。
このブログはどちらかというとわたしのひとりごと(=文章)がメインで、写真の方がむしろおまけと考えています。載せている写真自体はブログもFlickrも同じものですが、見せる主旨が違うということです。極論を書けばここには写真はなくても良いくらいなのですが、写真のない写真ブログというのも変ですから一応載せています。

ただし、文章が写真にとって絶対にマイナスかというとそうでもなく、例えば写真を撮った時のシチュエーションや狙いを文章で知ることによって味わいが深くなったりすることもあります。写真のコンテストなどで写真に一言添えることが多いですが、あれもそういう意図があるものでしょう。
文章によって写真の背景を知り、それにより鑑賞が深まる場合があるということです。

背景を知ることにより鑑賞が深まる例として、写真ではありませんが正岡子規の俳句を挙げてみたいと思います。有名なものなので皆さんすでにご存知かもしれませんが、子規の句に

 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

というものがあります。これだけ読んでも、語感の良さは伝わってきてもどういう状況なのかがよくわかりません。が、伝記などを読んで当時の子規の状況を知れば、何故彼がこの句を詠んだのかということがよくわかります。答えを書いてしまえば、これを詠んだ時の子規は結核に侵され結核菌に骨まで侵食されて病床に伏せていたのですが、これを知っているのと知らないのでは味わいがまったく違って感じられるだろうと思います。

背景が重要な意味を持つもう一つの例に、ジョン・レノンの「God」という曲を挙げてみます。この曲の終盤にレノンは「I don't believe in Beatles!(僕はビートルズを信じない!)」と叫ぶのですが、これもそれまでのジョン・レノンがビートルズと共に送ってきた極めて濃厚な人生を知らなければこの叫びの重さもわかりません。その重さを知っているリスナーであれば、この叫びの後のほんの僅かな静寂の時間が息が詰まるほどに重苦しく永遠に続くかのように感じられるのです。

そういった背景のある写真であれば、その背景を説明するための文章がセットになっていれば大いに意味があることでしょう。残念ながら、わたし自身はそのような写真は今までに一枚も撮ったことがありませんが・・・

Posted on 2011/08/08 Mon. 02:05 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真 

ゆるきり。 

Woodsorrel
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

表題の「ゆるきり」という言葉は、キヤノンがPowerShot G7というハイエンドコンデジを開発するに当たって創りだした造語です。
キヤノンいわく、「大人のためのデジタルカメラでありながら、あまりがっちりとしたマニアック性ではなくどこかゆるいところがある感じ」とのことですが、実際にはもうちょっと深みのある概念のようです。

マイクロフォーサーズを使っているのになぜキヤノンの話題が出てくるかと言いますと、この言葉がお散歩写真を撮るにあたって非常に使える概念だからです。

PowerShot G7はそれ以前のいかにもハイエンドといった佇まいの大仰なデザインを大幅に見直し、削れるものは出来る限り削ってすっきりとしたデザインで出なおしたハイエンドコンデジでした。フラッグシップであることに過剰にこだわらずに、気軽に持ち歩ける、しかしある程度気合を入れて撮影することができるカメラとして作られたのです。これはマイクロフォーサーズに共通するものがあります。

そして、この「ゆるきり」という概念は撮影そのものにも流用することができます。ゆるゆるとした気持ちで持ち歩いて、撮る時はきりっと撮る。大きなカメラバッグやら三脚やらを持ち歩いていると、撮っている時以外でも常に撮影機材を意識しなければなりません。しかし、小さなシステムであれば、歩いている時はカメラの存在をほとんど意識しないでぶらぶらとして、「あ、撮りたいな」と思ったらカメラを握って撮影モードに気持ちをビシッと切り替えるという「ゆるきり」な撮り方ができるようになります。

「ゆるきり」の気持ちを持つことによって得られるもの。それは、例えば常に気持ちが撮影モードであれば目にも留まらないような足元のものにも気持ちがいくようになることでしょう。
何でも入る撮影バッグにフラッグシップクラスの一眼レフと大砲レンズを何本も詰め込んでがっしりした三脚をかついで「さあ撮りに行くぞ」という気合が入っている状態であれば、その辺の道ばたで雑草と言われるような草花を撮る気持ちにはなかなかなれません。でも、そうやって撮影スポットにいそいそと出かける人の足元では小さな可憐な花がひっそりと咲いているのです。

肩の力を抜いて小さなカメラをひょいと肩に引っ掛けてぶらぶら歩く。ふと目を足元に落とすと、コンクリートの割れ目に小さな花が咲いている。誰もそんなものに目も留めない。下手をすると踏まれてしまうかもしれない。踏んだことにすら気がつかない。でも、この小ぶりなカメラとレンズがあれば、「自分は独りここに頑張って咲いているんだ!」という花の気持ちを世界にむけて知らせてあげることができるかもしれない。
それがわたしが考える「ゆるきり写真術」です。

Posted on 2011/08/04 Thu. 12:13 [edit]

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  ゆるきり 

レオパルド・ゲッコー流の撮り方。 

Longhorn beetle
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 flash:FL-36R flash diffuser:Omni-Bounce)

自慢できるような写真を撮っているわけではないのですが、どうやって撮っているのかという問い合わせをたびたびいただきますので自分なりにまとめてみました。わたしの撮り方や考え方は基本的にかなり偏っていますので、あまり真に受けずに適当に読み流してください。
(注:けっこう長文です)

ボディはパナソニックのDMC-G1ですが、高速コントラストAFと内蔵EVF(電子ファインダー)と可動液晶を持つボディであることが重要です。内蔵EVFと可動液晶は必ずしもなくても良いですが、高速コントラストAFは必須です。また、アングルの自由度を得るためにレンズも含めてある程度小さいシステムが必要です。よって、ボディはいわゆるミラーレス機に限定されます。システムの充実度を考えると現時点ではマイクロフォーサーズ一択ということになります。後述しますが、ファインダーが光学式ではなく電子式であることも大きなポイントです。

レンズはメインがLEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8、必要に応じてLUMIX G 20mm/F1.7とLUMIX G 45-200mmを使います。必ずしもこれらのレンズである必要はなく、高速コントラストAFを使ったマクロと望遠撮影ができれば良いです。質の良いクローズアップレンズやテレコンなどを使っても良いでしょう。画質に関しては、「ライカレンズは空気感が違う!」とかテストチャートを等倍鑑賞して解像力をチェックするというような考え方はしません。レンズにせよボディにせよ、わたしが求める必要最低限の画質をクリアーしてくれればそれで良いです。(といっても、わたしにとってはマイクロフォーサーズのボディもレンズも高性能すぎてもったいないくらいですが・・・)

基本的に手持ち撮影です。これは虫を撮る場合には三脚をセッティングしている余裕がないことと、多くはお散歩写真なので時間をかけてじっくり撮る余裕がないからです。ファインダーを覗いて「ここだ!」と感じた瞬間にシャッターを切りたいからでもあります。
暗所や室内などで自然光の手持ちでどうしても撮れない場合はディフューザーを装着したストロボを使います。ストロボは上下左右に発光部を回転でき、なおかつなるべく小さなものを選びます。(わたしはFL-36Rを使っていますが、これは機能や取り回しは良いのですがチャージが遅いのと電池の持ちが悪いのが欠点です)

ノイズはあまり気にしない方ですが、後からノイズだらけで使えないということになっても困るのでISOはあまり上げないようにしつつ固定します(マクロの高感度で実際に問題になるのはノイズよりも質感が失われてしまうことでしょう)。ISOを固定するのは絞り値やシャッター速度を適切にコントロールしやすくするためです。ISO100や200を使うことが多いですが、撮影条件があまり良くない時は400くらいまでは上げます。それ以上上げなければならない状況の時は撮影自体をあきらめるかストロボを使います。
(ISO400くらいまでというのはあくまで人に見せるための写真の場合で、自分のために撮る写真はISO1600くらいまでは平気で使います)

撮影モードはPモードかAモードを使うことが多いです。絞り値にはあまりこだわりはなくて、絞りは開放に限るとか少し絞らなければダメというような考え方はしません。これは絞り開放からあまり描写が変わらないマイクロフォーサーズを使っているからかもしれません。昆虫写真だから絞るとか花の写真だから絞りを開くというような考え方もしません。必要な被写界深度は被写体の種類によって変えるのではなく、その時撮っている写真のテーマに応じて最適な被写界深度は違ってくると考えます。被写界深度に限りませんが、自分の中で決まりごとは極力作らずに状況に柔軟に対応するのが重要だと考えています。
ストロボを使う場合はMモードです。絞り、シャッター速度、発光の強さ、ストロボの発光の向きなどをそれぞれ適宜調節します。屋外での手持ちクリップオンストロボ撮影でも、ディフューザーを使ったり発光部を左右に動かしたりすると光のドラマをそれなりに演出することができるのです。室内や壁の脇などバウンスできる状況であればバウンスも考えます。

ピント合わせは一点AFです。AF枠を一番小さなものにして、ピントを合わせたい場所にピンポイントに指定します。この際にはコントラストAFがピントを合わせやすい状況にしてあげることと、フォーカスゾーンを意識することが重要だと考えています。ピントは点で合わせるだけでなく、撮影意図に応じて線や面や立体で合わせるべきだと考えています。
背景の処理が重要な場合は、プレビューボタンを押して被写界深度などを確認しながら絞り値を調節します。(マウントアダプタで実絞りレンズを使っている場合はこの作業は必要ありません)
ピントを立体的に考えるような撮影の場合は、ピント合わせはAFポイントの位置と絞り値をセットで考えます。

手持ちマクロや望遠だと手ぶれが大敵なので、カメラを固定するために使えるものは何でも使います。壁、地面、電柱、ブロック塀、などなど、体の何らかの部分を固定できる状況であれば利用して肘や肩や背中などを固定します。カメラに近い場所をどこか一箇所でも固定できると歩留まりが全然違ってきます。完全に体がフリーになってしまう状態であれば、その時撮りたい撮影アングルに対して最も安定した姿勢はどういうものかということを考えます。
アングルの都合で背面液晶を使ったライブビュー撮影になる場合は、ストラップをぴーんと張った状態になるようにカメラを突き出してホールドします。故に、ストラップは脇を閉めてカメラをつきだした状態でホールドできる長さにあらかじめ調節しておきます。また、ライブビューでカメラを低い位置で構えたり上に向けたり下に向けた状態でしっかり握れるホールドはどういうものかをあらかじめ把握(ないし練習)しておきます。カメラの位置やアングルによってはシャッターボタンを親指で押すこともありえます。アイレベルでの撮影と違いグリップを握り込む深さや手首の角度がいろいろと変わりますのでそういうホールドにも慣れておきます。
ファインダーかライブビューかの選択は撮影アングルで決まりますが、虫や小動物を撮る場合はファインダーが使える場合でも全体の状況を見ながら少しずつ近づくためにあえてライブビュー撮影をすることもあります。
虫や花の撮影ではあらゆる高さやアングルに対応しなければなりませんから、苦しいアングルでもいかに確実にホールドするかというのが勝負どころです。イメージとしては、「全身でカメラを構える」「姿勢を工夫して全身の重心バランスが撮れた状態で撮影する」といった感じです。

ここからがたぶん人とはちょっと違うところだと思いますが、撮影したらまずそのままの姿勢でEVFで撮影画像のチェックをします。EVFでチェックするのは外光の影響を排除するため、そのままの姿勢でチェックするのはすぐに次の撮影に移れるようにするためです。一番やりたいのはピントと露出のチェックですが、被写界深度のプレビューをやらずに撮った場合はそのチェックもします。ささっと拡大表示もして、今の撮影で何が問題だったのかを確かめます。問題は構図なのか、露出なのか、ピントなのか、ブレなのか、ホワイトバランスなのか。問題点が把握できたら、改善の余地があるならば改善の努力をして次の撮影に移ります。一見面倒ですが、こうした方がたくさん撮って後から見直すよりも歩留まりが良いのです(少なくともわたしにとっては)。この確認にかける時間は1〜2秒程度です。
はじめに撮る数枚は言うなればラフスケッチのようなもので、撮影画像を確認しながら完成像を想定し、その完成像に近づけるように少しずつ工夫しながら撮っていきます。おおよそ完成したと思えば撮影を終了します。完成したとは思えなくても、集中力が維持できなくなったら撮るのを止めます。集中できないのに撮り続けても惰性で撮っているだけの写真になってしまうからです。

お散歩写真なので、撮り始めてから完成像を得るまでにかかる時間はおよそ数分間、どんなに長くても10-20分くらいです。撮影に時間をかけないのはお散歩写真という制限もありますが、それ以上長時間の集中力を保つことができないというのも大きな理由です。マクロや望遠はきちんと撮ろうとすればそれだけで非常に精神力を消費するものです。

撮り終わった後は現像作業ですが、ここまででかなりの長文になってしまったので続きはまた機会があれば書いてみようと思います。(といいつつ忘れてしまうかもしれませんが・・・(^^; )

Posted on 2011/07/27 Wed. 12:15 [edit]

tag: 写真  ひとりごと  マイクロフォーサーズ 

これからのマイクロフォーサーズ その2。 

Dandelion
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

PENTAX Qの登場で、いわゆるミラーレスカメラもなかなかバリエーションの富んだ賑わいを見せてきました。
面白いのは、同じミラーレスであっても各社それぞれのミラーレス観があり方向性が異なるということです。一眼レフが多少の違いはあっても似たり寄ったりのものになりやすいのと対照的にミラーレスカメラに個性的なモデルが多いのは、自由度が高いというミラーレスの側面の一つを象徴しているものと思われます。

そのなかでマイクロフォーサーズがこれから進む道はどういうものなのか。
前々回でも少し触れましたが、マイクロフォーサーズの他社との大きな違いは、GF3のようにコンデジに近い極めてコンパクトなモデルからGH2のようにファインダーとフル可動の背面液晶を持ついわゆる全部入りまでボディのバリエーションに富んでいることです。
また、レンズのバリエーションもマイクロフォーサーズは群を抜いています。ダブルズームやパンケーキレンズはもちろんのこと、超広角、超望遠、マクロ、魚眼、3Dレンズ、そして今度出る25mm/F1.4、12mm /F2.0、45mm/F1.8といった単焦点レンズ群。
これはいったい何を意味するのか。

これらの存在は、マイクロフォーサーズは完全なレンズ交換式システムで行こうという意志の現れでしょう。単なるサブシステムとか標準ズームやパンケーキだけでお茶を濁そうとは思っていないのは明白です。

そこに持ってきて今回のGF3やE-PM1といった小型機の登場。そして、条件付きとはいえ一眼レフを超える速度のAF。エプソンと組んだ高性能EVF。
マイクロフォーサーズはぎりぎりコンデジに近いスタイルのボディから一眼レフを超えるスペックの全部入りボディまで、かつて存在しなかった非常に幅広いレンズ交換式システムを作り上げることを最終的な目標にしているのではないでしょうか。今までの流れを見るに、マイクロフォーサーズにはそのような野望があるように思われます。そして、パナソニックとオリンパスの2社があればそのようなシステムは実際に構築可能と思われます。

ミラーレスはコンデジと一眼レフの隙間を埋めるためのニッチな存在と思われてきましたが、少なくともマイクロフォーサーズはそれ以上の存在になる可能性が現実的に十分に考えられるのではないでしょうか。

Posted on 2011/07/01 Fri. 15:15 [edit]

tag: ひとりごと  マイクロフォーサーズ  カメラ 

弱者の美学? 

Flower
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

変な題名ですが、なかなか適切な題が思いつかず・・・(^^;

例えば花の写真を撮るとして、きれいに手入れされた花壇に咲き乱れる今が盛りの美しい花、そして人知れずコンクリートの割れ目から生えてひっそりと咲いている小さな花、どちらの写真を撮りますか?

わたしならば両方撮りますが、より夢中になって撮るのは後者の方です。
自分でも理由はわからないのですが、わたしはどうやら美しさを前提に提示された人工的な環境に対する写欲がどうにも乏しいのです。きれいだろうと言わんばかりのものをそのままきれいに撮っても仕方がないだろうとつい考えてしまうのです。
それよりは、誰も見向きもしないようなその辺の何でもないものをきれいに、もしくは雰囲気が出る感じに撮ってみたいと思ってしまうのです。
(余談ですが、例えば前回の写真も、アゲハチョウの美しさやかわいさは完全に認めた上で、写真としてはあまり面白くないものだと思っています)

花の写真を撮るときに、いちばんきれいに咲いている花を選んで刷毛を使ってゴミや虫を払って撮れと言われますが、そういう撮り方にもどうにも興味が持てません。ゴミや虫が乗っているなら、それをそのまま撮ったほうが良いと考えてしまうのです。むしろそのゴミや虫を主役にしたいとすら思います。

こういう考え方は損をしているなあとも思います。皆が見たいのはきれいな花であって、ゴミやら虫やらが乗っていたり枯れかかっていたりその辺の道ばたに生えている花ではないでしょうから。
しかしながら、そういうものにシンパシーを感じてしまう自分の傾向はどうすることもできません。こういう指向がフォトグラファーとして正しいのかどうかは大いに疑問ですが、ともかく行けるところまでは行ってみようと思います。どうしようもない壁に突き当たったら、その時はまた新しい道を考えることにしましょう。
 

Posted on 2011/06/23 Thu. 11:22 [edit]

tag: ひとりごと  写真 

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