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レオパルド・ゲッコーのお散歩写真

その辺の道ばたで撮ったお散歩マクロ写真など・・・

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カメラのデザイン。 

Dandelion
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

今回はお散歩マクロに最適なカメラのデザインはどういうものかについて考えてみたいと思います。
これまではカメラの中身、つまり機能や性能的にマイクロフォーサーズを始めとしたミラーレスカメラがお散歩カメラとしていかに優れているかについていろいろと書いてきましたが、今回はカメラの外側、デザインについて考えてみます。

お散歩マクロに有用なものとして、電子式ファインダー(EVF)とフル可動の背面モニター(いわゆるバリアングル式)がまず挙げられます。これらがお散歩マクロを撮るにあたっていかに便利なものであるかはこれまでの記事で何度か書いてきましたので詳しい説明は割愛しますが、この2つは搭載されているのが前提として話を進めます。

まずグリップの形状。ミラーレスは小型ではあってもレンズ交換式カメラですから、右手で持つ部分に関してはしっかりしたグリッピングや取り回しを考えるとコンデジのように完全に平らなものではなくてある程度の出っ張りはあった方が良いだろうと思います。では一眼レフのように大きなグリップであれば良いかというと、そうではないというのがわたしの考えです。ミラーレスカメラでは手持ちで背面モニターを使ったライブビュー撮影も得意分野なので、それを活かすためにはライブビュー撮影も視野に入れたグリップ形状が望ましいと思います。一眼レフのように大きなグリップでは手全体でグリップを握りこむことによって手首が固定されてしまい、せっかくアングルが自由になるライブビュー撮影のメリットを十分に活かせなくなってしまうのです。一眼レフではライブビューは必要ないと言う人がたくさんいますが、それはつまり一般的な一眼レフはライブビュー撮影を視野に入れてデザインされていないのでライブビュー撮影がやりにくいからです。ライブビュー撮影そのものが悪いわけではありません。
ファインダーと背面モニターの両方を使ったグリッピングを考えると、グリップはサイズが大きすぎず前に出っ張り過ぎない若干平べったい感じのものが理想だろうと思います。確実にグリップできることと、自由な角度でグリップできること。これは相反するものですから、そのバランスをいかに上手く取るかがポイントになってくるでしょう。

次にモードダイアルの位置。お散歩写真では気軽に撮ったり気合を入れて撮ったりと、状況に応じて写真に対する集中力が柔軟に変化します。その集中力の変化に応じてプログラムモードや絞り優先モードなどを簡単に切り替えられるようになっているのが望ましいです。撮っている最中にもここはきっちり追い込むべきだと気持ちが切り替わることもありますから、ダイアルの位置はグリッピングの形を大きく崩さずに簡単にモードを変えられる場所、つまり右手の親指を少し伸ばせば回せる場所にあることが望ましいと思います。
(コマンドダイアルはもっと重要ですが普通はコマンドダイアルが変な位置にあることはないのでここでは触れません)

そして各種ボタンの位置。お散歩マクロは撮影条件が厳しいことが多く、ISOやAFポイントなどを頻繁に微妙に操作する必要があります。ボタンが不規則に散らばって配置されていたり、カメラを構えたままでは指が届かない場所に配置されていたり、人間工学を無視しておかしな場所に一直線に配置されたりしていると、そういった微妙な操作に支障をきたします。構えを大きく崩さずに軽快に確実に操作出来る位置にボタンが配置されているかというのは重要なポイントです。

ミラーレスカメラはその構造上、精密な撮影が得意であり、撮影アングルの自由度が非常に高いという特徴があります。精密かつ自由であることは、お散歩マクロにおいて非常に強力な武器となります。これらのメリットを十分に活かすにはカメラの中身の性能を上げるだけでなくデザインでその機能性をアップさせるというアプローチも必要だろうと思います。
最近ミラーレスのデザインにおいて機能性よりも外観上のインパクトなどを優先させる傾向が一部に見受けられますが、今後ミラーレス市場が成熟してくればミラーレスとしての機能性を洗練させたデザインのボディももっと出てくるものと思われます。それはすなわち写真機として新しい方向への更なる進化を意味します。そうなれば、お散歩マクロのみならず写真の世界はさらに一歩前に進むことが出来るでしょう。

Posted on 2012/04/10 Tue. 14:16 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

現実と虚構。 

Sakura
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

何だか小難しいタイトルが続いて恐縮ですが、特に難しい話ではありません。

突然話が飛びますが、例えばSFものやファンタジーものの映画で、第1作が面白かったのに第2作以降がいまひとつだと感じることはないでしょうか。
これにはもちろんいろいろな理由があると思いますが、第2作以降はあまりにも虚構の世界に始めから浸かりすぎてしまうので主人公や世界観に今ひとつ感情移入できなくなってしまうというのも理由の一つに挙げられるのではないかと思います。
いきなり非現実的な話が炸裂してもたいていは視聴者がついていけませんから、第1作においてはまずは現実っぽい雰囲気から徐々に虚構の世界に連れて行くという手法をとるものが多いだろうと思います。が、第2作以降で同じことを繰り返すわけにもいきませんから第2作では第1作の後半で連れていった場所からさらに先に行かなければなりません。つまり現実世界から始めから離れてしまっているわけで、そこで置いて行かれたと無意識のうちに感じる視聴者もいるのではないかと想像します。
いかに虚構の物語であっても、深く感情移入するためにはそれなりに現実的なテイストは必要なのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、これを写真に置き換えて考えてみます。

写真の場合は逆に現実世界を切り取っているものが多いのですが、まさにリアルな日常的現実世界だけを切り取った写真、これはあまり面白いものではないでしょう。例えば朝ごはんに毎日納豆を食べている人が納豆を普通に正面からどどーんと撮った写真を見たとして、重度の納豆マニアでもなければその写真に衝撃を受けて感動するとはちょっと考えにくいです。
(余談ですが、チラシなどでよく見る広告写真などはさすがにプロの仕事ですごいものが多いですが、写真マニアならばともかく普通の人はそういうところで感動はしません)
逆に完全に現実世界から乖離している虚構的な写真というものを考えてみます。例えばマクロ写真でボケボケにぼかして何が写っているかすらよくわからないような写真。これは色合いなどを漠然としたイメージとして何となく楽しめることはあるでしょうけれど、それに心から感情移入するのはちょっと難しいでしょう。やはり何らかの現実世界とのつながりがあった方が作品世界に入り込みやすいだろうと思います。

写真は「真を写す」と書きますが必ずしも現実のみを写しているわけではなく、実際には上記のマクロ写真のように現実世界ではありえないものを写すことも簡単にできます。特にマクロ写真においては現実世界を写真に的確に反映することの方がかえって難しいくらいです。
つまり、写真においても現実と虚構の関係は存在するということが言えるだろうと思います。

上で挙げた映画だけでなくマンガや小説などにおいても現実と虚構をいかに上手く織り交ぜるかというのは創作における重要なテーマだと思われますが、写真においてもそれは例外ではないと思います。映画が脚本やCGなどで現実と虚構を巧みに織り交ぜるように、写真家は絞りとシャッター速度を操って現実と虚構を織り交ぜるのだと思います。そういった撮影テクニックの他にも、例えば被写体の選択も同じだと言えるでしょう。めずらしい物を撮るのは日常世界から意識を離すということです。それもまた一種の虚構であるとも言えるでしょう。

思いっきり現実的な写真を撮るのは簡単です。また、思いっきり虚構的な写真を撮るのも簡単です。難しいのは、その両者をほどよく織り交ぜ、バランスをどこで取るのかを見極めることでしょう。そのバランスをうまく取ることができた時、十分に感情移入できてなおかつ退屈ではない写真が得られるのだろうと思います。

Posted on 2012/04/08 Sun. 22:12 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真 

「表現」とは何か。 

Spring has come
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

いきなり大上段なタイトルで恐縮ですが、哲学的な話や深遠な話をしたいわけではなくて、意味がわかりきった言葉のように思える「表現」というものをちょっと考えてみたいという話です。

写真における表現とは何でしょうか。
ファインダーを通して自分で感じたもの、つまり自分の内面を写真にして外に出すことであるとは言えるでしょう。では、それを外に出せればそれで終わりなのでしょうか。
この問に対する答えは、ジョン・レノンの奥さんとしても知られる前衛芸術家のオノ・ヨーコさんのQ&Aがとてもわかりやすいので引用させていただきます。

Q「今までの芸術活動において、人に認められたいと思ったことはありますか?」
A「芸術家にとっては、自分の作品が人と話す「言葉」なのです。だから、作品で何か言っても聴いてくれる人がいなければ、よく駅なんかで立って、独り言を言っている人と同じになります。ヨーコ」

つまり、写真で言うならば、撮ったものをただポンポンと並べた見せっ放しではダメということですね。それではヨーコさんのおっしゃるように、駅でブツブツ独り言を言っている人と同じ事でしょう。どうやったら自分の感動を人と分かち合うことができるのかということを考えて、自分の作品を主観的なだけでなく客観的にも見て練り上げた上で出すのが表現者としての努めと言えるのではないかと思います。
これは写真だけでなく、ブログやTwitterなどでも同じ事だろうと思います。自分の言いたいことしか言わないのであればそれはどこまでいっても単なる独り言であって、表現とは呼べないでしょう。表現、つまり表に現す以上は、現す相手というものがあるわけです。その相手を無視するのであればわざわざ表に現す意味がありませんから、駅まで行ってブツブツ独り言を言うのではなくて自分の部屋でブツブツ言っていれば良いわけです。表現とは表現者の思いを一方的に垂れ流すのではなく、一種のコミュニケーションであるべきだろうと思います。

これはプロならば当たり前のことでしょうが、アマチュアであってもやはり同じことだろうと思います。
自分の部屋でブツブツ言うのではなくて外の世界に出るのであれば、表現者ということではプロもアマも同じ土俵に立っているわけです。自分の部屋でブツブツ言っているようなことを人にも聞いてもらいたいというのは少々虫が良すぎるのではないかなと。外に向かって何かを言いたいのであれば、「表現者」であるための最低限の努力はするべきだろうと思います。

写真においてその努力はどういうものかと考えれば、自分が感じた感動などをどうやったら人と共有出来るのかを考慮に入れることだろうと思います。どこに感動したのかということを自分の中で整理して、そのポイントを端的に的確につかむこと。つかんだものを過不足なく写真としての形にすること。
それがきっちりできれば、「表現」としての良い写真が得られるのだろうと思います。

Posted on 2012/04/07 Sat. 00:20 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真 

めちゃくちゃすごいモノ。 

Flower
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

前回の記事を書いた時からずっとスティーブ・ジョブズ氏(以下、敬称略)のことが頭から離れないのですが、せっかくなのでジョブズとマイクロフォーサーズを半ば無理やり関連付けて考えてみたいと思います。ついでにわたしの好きな(ジョブズも好きだった)ビートルズも絡めて考えてみます。

マイクロフォーサーズ、スティーブ・ジョブズ、ビートルズ、この3者はそれぞれまったく別のものに見えますが、共通しているのはそれぞれの分野で強烈なイノベーターであるということです。ジョブズは「人々は自分の欲しいものが何なのか見せるまでわからないものだ」と言っていましたが、こういう姿勢がイノベーターには共通しています。

ビートルズ以前には彼らが作ったような音楽は存在しませんでしたし、そういう音楽が聴きたいと思っていた人はおそらく皆無だったでしょう。彼らが"A Day In The Life"という曲を創り上げた時、それを聴いた金儲けしか考えていなかったレコード会社の社長が椅子から立ち上がれなかったという話があります。あらゆる音楽を耳にしていたであろうレコード会社の社長すら圧倒するほどの衝撃的な曲だったのです。
また、AppleがMacintoshを出すまでは、GUIで操作するオールインワンのパーソナルコンピューターというものを想像する人は皆無だったでしょう。iPhoneが出るまでは、ほぼ完全にタッチパネルで操作する正面のボタンが一つしかない電話を想像する人もいなかったでしょう。
規模こそ違いますが、マイクロフォーサーズにも同じことが言えるのです。

マイクロフォーサーズが出てくる前も、デジタル一眼レフをもっと小型化するべきだとかレンズ交換式のコンデジを作るべきだという声はありました。が、DMC-G1のようなボディを想像していた人はおそらくいなかったと思います。わたしも初めてG1の発表を目にした時は、その真価がわからずにパナソニックはレンズ交換式のネオ一眼を作ったのだと思いました。何と馬鹿で無駄な事をしたのだろうと。
ところが、実物を手にしてわたしの印象は一変します。これは今までわたしが知っていたカメラとは全然違うものだと。信じられないほど高速なコントラストAF、見たこともない視野が大きく高精細なEVF、リアルタイム収差補正、どれも頭がクラクラするほどの衝撃でした。その後のレンズ展開も、7-14mmといった強烈な超広角ズーム、パンケーキレンズとしては驚異的な性能の20mm/F1.7など我が目を疑うような非常識的展開(もちろん褒め言葉です)。

それ以降各社がミラーレスに参入してきましたが、個人的にはそれらにはどうにもイノベーションを感じられないのです。
いかにもありがちな一眼レフに遠慮したサブ用途のボディや趣味性に走ったボディなど、その辺の人が普通に欲しがるであろうカメラばかりで、カメラシステムそのものを次のステージに持って行こうというような気概が感じられません。もちろん普通の人が普通に欲しがるカメラはあって良いですし現実的には必要なものでもありますが、ビートルズやジョブズの信奉者であるわたしにとってはどうにも物足りないと感じてしまうところもあるのです。ミラーレスはそれだけじゃダメなんだと。

イノベーションといっても何でもかんでも新しければ良いというものではありませんし、驚きがあれば良いというものでもありません。が、ミラーレスはカメラと写真の世界を更なる高みに持ちあげてくれるポテンシャルがある分野だとわたしは確信しています。

ビートルズやスティーブ・ジョブズは自分たちの分野で新しい世界を創り出し、結果的に世界を変えました。写真の世界も同じように次のステージに移るべき時期が来たと思っています。各カメラメーカーにはそういう気概を持ったカメラシステムを作って欲しいと願います。

Posted on 2011/11/15 Tue. 13:43 [edit]

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

蝉を愛でる。 

Cicada
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(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 flash: Olympus FL-36R flash diffuser:Omni-Bounce)

まずはじめに、こういう写真が苦手な方には申し訳ありません。(と言っても、見てしまってからでは遅いかもしれませんが・・・(^^; )

マクロで撮って楽しい被写体はいろいろありますが、この時期では個人的には何と言ってもセミです。
マクロの醍醐味は肉眼では見えない細かいものがじっくりと見られること、そして肉眼ではなかなか気がつかない造形的な面白さを堪能できることですが、セミはまさにその両者をとことん味わうことができる最高の被写体なのです。個人的には「お散歩マクロ被写体の帝王」の称号をあげても良いくらいだと思っています。

まず第一に挙げたいのは額の単眼。ご覧のように、セミの額にはルビーのように赤く輝く小さな宝石が3つあります。これが実に美しくかわいらしい。肉眼では本当に小さな点にしか見えませんが、マクロで撮るとその色や形の美しさをじっくりと堪能することが出来ます。これだけのためでも苦労してセミに近づく価値はあります。

そして、全身に散りばめられた金色に輝く小さな毛。拡大してみるとこれがまた実に美しいのです。特にアブラゼミの漆黒とこげ茶のボディに金色はよく映えます。虫を拡大してみるとけっこう小さな毛があるものですが、中でもアブラゼミの毛の美しさは最高クラスだろうと思います。
背中の模様も格好良く、アブラゼミはがっしりとした甲冑武者のような趣がありますし、ミンミンゼミはまるで民族衣装かのような模様がなんとも言えず面白く美しいです。

おでこやボディだけでなく、前から見た顔も忘れてはいけません。ラジエーターのような模様の口が非常に格好良く、単なる模様ではなくて凹凸があるのです。この凹凸がセミの顔を撮る時の大きなポイントです。

マクロシューター泣かせなのは、このセミの造形的面白さを心ゆくまで撮るきるためには一つのアングルではとても不可能ということです。後ろから、前から、横から、斜め上から、斜め横から、あらゆるアングルで攻めなければセミマクロを十分に堪能したとは言えません。高いところにいるセミを下から見上げて撮っただけではセミの面白さの1/100も出せません。セミマクロで一番大変なのは、撮りたい角度に回りこめる位置にいるセミを見つけ出すことかもしれません。

他にはこれは写真には写らないのですが、じわじわと目の前まで近寄った時のセミの態度がまた面白いのです。
セミにもけっこう個性があって、ちょっと近づいただけですぐに飛んで逃げてしまうものや気にしないで鳴き続けるものもありますが、よく見かけるのがとりあえず鳴くのはやめてしばらくじっとした後にじわりじわりと横に歩き出すセミです。このゆっくり歩いて逃げようとしている(?)姿が実に可愛らしいのですね。ヨコバイというセミに近い仲間の虫は近づくと素早く横に歩いて逃げますが、セミの逃げ方は言うなればそれが非常にゆっくりしたバージョンで、のっしのっしと横に歩いて逃げるのです。
「せっかく気持良く鳴いているのにこんな目の前まで近づいたら気が散るじゃないか。やれやれ、もうちょっとあっちの方で鳴くか・・・」とでも言わんばかりによっこいしょよっこいしょと移動していくセミは、追いかけて写真を撮るよりはその動きを眺めていたほうが楽しいかもしれません。このように、マクロ撮影にはあえてシャッターを切らずにファインダーで眺め続ける楽しみもあります。

セミを愛好した芸術家に、「智恵子抄」などで有名な高村光太郎がいます。氏はよほどセミが好きだったらしくセミの造形の面白さについて書かれたエッセイがあるのですが、そこに綴られた彫刻家としてセミを見る視点は我々写真を撮る人間にとっても非常に面白く勉強になるものだろうと思います。
↓こちらがそのエッセイへのリンクになります。短くさらっと読めるものですので、少しお時間があるようでしたら読んでみてください。
蝉の美と造型

そのエッセイにも少し記述がありますが、古代ギリシア人もセミを愛でていたようです。セミを「歌い虫」と呼んだり、地中から出てきて羽化で真っ白に生まれ変わる様を見て復活や不死のシンボルとして考えたり。
はるか昔の遠く彼方に住んでいた人たちが同じようにセミを愛でていたということを知ると、何となく親近感を覚えてしまう今日この頃です。

Posted on 2011/08/15 Mon. 12:09 [edit]

thread: 昆虫の写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  自然 

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