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レオパルド・ゲッコーのお散歩写真

その辺の道ばたで撮ったお散歩マクロ写真など・・・

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光と影。 

Peacock Pansy
(camera: panasonic LUMIX DMC-GH3 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

皆さんは初めて写真を褒められた時のことを覚えておられるでしょうか。
わたしの場合は、クラシックカメラを手に入れて50mmのレンズ一本だけで撮り歩くのが面白くなってきた頃のことでした。フルマニュアルの露出計もない古いカメラで露出は勘で合わせるというメチャクチャな撮り方をしていたのですが、ある古い民家で暗い部屋の中に窓からの日差しが一部だけあたっている状態が面白かったので撮った写真がたまたま調度良い露出になっていて、日のあたっている部分が影の中から浮かび上がるような写真になりました。その写真は行きつけの写真店で現像してもらったのですが、そこの親父さんが「これはレンブラントの絵みたいだね。こういう写真は大きく伸ばすものだよ」と初めて褒めてくれたのです。向こうも商売ですから箸にも棒にもかからないヘタクソな常連にお情けでお世辞を言った程度だったのかもしれませんが、それまで誰かに写真を褒められるという経験がなかったわたしにとっては非常に印象的な言葉となりました。

意図せず光と影のコントラストが主題となった写真を「レンブラントのようだ」と表現されたことが非常に印象に残って、そこからわたしは写真における光と影というものを強く意識するようになりました。写真は英語で"Photograph"、つまり「光画」とも言えるものですから光を意識するのは当たり前といえば当たり前なのですが、それまではわたしは写真というのは目の前の景色が見たまま写っているものだというような漠然とした意識しか持っていなかったのです。

今では、写真の本質は光であると思っています。画面の中で何かが光ってるという意味ではなく、光が反射したり透過したりしたものを写しとったのが写真だということです。写真とはそういう様々な光を素材にして何かを生み出す表現であるという認識であり、それがわたしにとっての"Photograph"です。ゆえに、出来上がるものは必ずしも見たままのものではなく、肉眼でのイメージからかけ離れたものであっても良いと考えています。とは言っても現像操作で画像を極端にいじるのはあまり好きではありませんが、それは単にいじりすぎると底の浅いつまらない色合いになってしまうと感じているからであって、肉眼での印象にこだわっているわけではありません。(単にわたしの現像操作がヘタクソなだけとも言えますが・・・)

光と影を読み適切に操れるようになれば良い写真と呼べるものが撮れるようになるのではないかと考えています。自分がそうなれる日が来るのかどうかは大いに疑問ですが・・・
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Posted on 2013/12/19 Thu. 01:29 [edit]

thread: 昆虫の写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  昆虫   

DMC-GH3の機能的デザインについて。 

Morning Dew
(camera: panasonic LUMIX DMC-GH3 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

オリンパスからE-P5、パナソニックからDMC-G6という、ミラーレス機のファンとして非常に喜ばしいボディが発表されました。E-P5とG6のいったい何が喜ばしいのかということを書く前に、その準備段階としてDMC-GH3のデザインの機能性について考えてみたいと思います。少々まどろっこしい展開で申し訳ありませんが、話の流れとして必要なことになりますので・・・

わたしがDMC-GH3の発表を初めて見た時に感じたのは、デザインの傾向が変わったということです。それは単に見た目が変わったということではなく、機能性を追求したデザインになったという意味になります。では、GH3のどこからそういう印象を感じたのか。一般的にカメラの顔は前面ですが、操作に必要な部分は主に上面と後面ですので、まずは上面から見て行きましょう。
GH3上面

前機種のGH2から明らかに変わったのはまずWB,ISO,露出補正のボタンが加わったことですが、これは全て絵作りに関連したボタンであり、一般的な使用頻度を考えた並び順になっています。また、ISOボタンには触っただけで識別できるように小さなポッチがついています。この並びは一段高くして手探りのみで識別できるようになっています。シャッターボタン周りは人差し指の第一関節がちょうど収まるようなくぼみがついています。後ろ側のコマンドダイアルはGH2まではサムレストの右側が高い形状だったので左右同じような感覚で回しにくかったのですが、角の出っ張りを抑えてダイアルの左右を同じ形状にしています。電源レバーはG/GHシリーズ共通ですがレバーであり、電源が入っているかどうかを目で確認しなくても操作ができる位置に置かれています。また、上から見ると後面の上側がなだらかな斜面になっているのがわかりますが、その形状の理由については後述します。次は後面です。
20130306.jpg

この画像からはわかりにくいのですが、右手親指を置く場所はさきほど上面で確認していただいたようになだらかな斜面になっており、親指を置きやすくすると同時に親指の延長線上にスムーズにモードダイアルが来るようになっています。さらにフォーカスモードレバー・AEロックボタンや録画ボタンやコマンドダイアルへの親指の動きを考えた配置になっています。つまり後面の右上側は右手親指を静的にも動的にも人間工学的に意識したデザインになっているのです。グリップの形状は若干下側がふくらんだカーブになっていますが、これはグリップを握った時の手のひらの形を意識しているのでしょう。その形状のため、握った感じは非常にフィットしたものになります。
もう一つ画像からはわかりにくいものとして、十字キーの周りの右側のラバーの切欠きが絶妙なものになっています。右手親指の腹で押さなれないようにしつつもダイアルを操作しやすいように、切欠き部分のラバーがダイアルの盛り上がっている部分がギリギリ出るか出ないかという高さになっているのです。ここの立体的デザインは是非実物を手にして確認していただきたいところです。

細かいところを挙げていくとキリがないのでこのあたりで終了させていただきますが、要はグリッピングや指の置き方や指の動きに関してまでかなり考えぬかれたデザインになっているということです。このような道具として非常に細やかな部分まで考慮した機能的デザインはそれまでのマイクロフォーサーズ機にはほとんどみられませんでした。ここで挙げたようなことは一眼レフではある程度当たり前であって一眼レフで機能的に目を疑うようなデザインはほとんどないのですが、ミラーレス機はメーカーからもユーザーからも趣味性の高いものや単に携帯性のみを追求したものとして捉えられることが多く、真剣に写真機としての機能性を考えたデザインは非常に少なかったように思います。そういう傾向がようやく変わってきたのは非常に喜ばしいことだと考えています。

さらに喜ばしいのは、フラッグシップであるGH3だけでなくDMC-G6やE-P5にもそういう方向性を見出すことができることです。それについては機会があればまた別の記事で考察してみたいと思います。

「道具の美しさ」とは何かと考えた場合、それは見た目だけの問題ではなく、実際に使ってみてその操作感に美しさを感じるかどうかということの方が重要なポイントだと思っています。美しさとは目で見て感じるものだけではなく、手や指が感じるものもあるでしょう。つまりは機能美です。そういう意味においてGH3はとても美しいカメラだと思いますし、こういう美しさを持ったカメラがもっと増えてくれれば良いなと願っています。

Posted on 2013/05/15 Wed. 10:15 [edit]

thread: デジカメ

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

あえて制限する表現。 

Broken Dandelion Clock
(camera: panasonic LUMIX DMC-GH3 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)
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わたしのお散歩マクロは基本的に非常にシンプルなものです。
必要なのはきれいな朝の光と、その辺で見かけるありふれた草花や昆虫たち。機材は何でも構わないのですが、普段のスナップを撮ったりすることも考えると汎用性も考慮してマイクロフォーサーズのシステムを使っています。
カメラやレンズを選ぶ時に玄人は画像を等倍でじっくり見比べてセンサーの性能やレンズの解像力などを重視するのでしょうけれど、わたしはそういうことはほとんど気にしません。わたしが撮りたい写真にはそういうものは必要なく、むしろあまりにも高性能なセンサーやレンズはわたしにとってはオーバースペックなのです。わたしが撮りたいと思う写真を撮れる機能があればそれで十分で、絶対的な性能は求めません。

わたしの写真は基本的には引き算の写真です。画面からなるべく余計なものを排除して、ピンポイントで集中する部分と全体のバランスを考えます。たくさんの情報を詰め込む必要はなく、むしろどこまで情報を制限するか、どうやって余計なものを排除するかということに神経を使います。

わたしのこういう思想には、かのスティーブ・ジョブズ氏の考え方が非常に強い影響を与えています。
ジョブズ氏いわく、
「“集中する”というのは、集中すべきものに『イエス』と言うことだと誰もが思っている。だが本当はまったく違う。それは、それ以外のたくさんの優れたアイデアに『ノー』と言うことだ。選択は慎重にしなければならない。私は、自分がやってきたことと同じぐらい、やらなかったことに誇りを持っている。イノベーションというのは、1000の可能性に『ノー』ということだ」

これは写真にも当てはめて考えることができるだろうと思うのです。"何を写したか"はもちろん大切なことですが、"何を写さないのか"も同じくらい重要なことだと考えています。これは背景を整理するというような単純なことだけではなく、時にはダイナミックレンジをあえて狭めてみたり、カラーではなくモノトーンを選んだりといった制限も含みます。このような制限を加えることによって写真のテーマが浮き彫りになり人に伝えるための表現としてはむしろ豊かになることもあるのではないかと考えています。

例えば今回の写真で言うならば、タンポポの綿毛のシャープさや背景でボケる綿毛の品の良さや全体的な形の面白さやバランスなどを伝えるためには、カラーはむしろ邪魔な情報ではなかろうかということです。しかしながらただ単にカラー情報を抜けば良いというものでもなくて、さらに画面全体から静けさや緊張感を感じられるように少し青っぽいモノトーンにしてみる、青だけでは落ち着きがないのでさらにわずかに紫の方向に振ってみる、というように引き算と足し算のバランスが重要なのだとも思っています。

Posted on 2013/04/24 Wed. 12:00 [edit]

Panasonic Lumix DMC-GH3を入手した。 

Long-headed Poppy
(camera: panasonic LUMIX DMC-GH3 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

今回の記事はかなり個人的な内容なので、興味がない方は適当にスルーしていただければ幸いです。
マイクロフォーサーズ登場時から愛用してきたDMC-G1がついに壊れてしまったので、否応なしにカメラを買い換える必要に迫られました。お散歩マクロ写真を撮るにあたって自分にとって最も適したカメラは何なのか考えに考えた結果、DMC-GH3を選びました。
DMC-GH3を選ぶにあたり、自分にとってのメリット・デメリットをいろいろと考えました。

<メリット>
・優れた操作性。ダイレクトに操作できるボタンやダイアルが多く、細かい調整が必要なマクロ写真を撮るにあたってGH3の操作性は大きな利点となる。ほとんどの操作が右手だけで効率良く行えるように考え抜かれたボタン配置が見事。ボタンが多いので十字キーを使ったダイレクトフォーカス移動が躊躇なく設定できる。
・EVFとフリーアングル背面モニター。EVFは手振れ対策になる上に、撮影した画像を姿勢を崩さずに撮った直後に確認できるのが非常に大きなメリットになる。フリーアングル背面モニターはネイチャーフォトを撮るにあたって好きなアングルで撮れることと足場が確保できない場所でも手を伸ばしたりして撮ることができるのが大きな利点。背面モニターの表示はかなり綺麗。
・マイクロフォーサーズとしては優れた高感度。フィールドでのマクロ撮影は条件が厳しい場合が多く、高感度が使えるのは撮影の幅が広がる。
・防塵防滴。過信は禁物であろうが、ネイチャーフォトでは多少の悪天候でも使えるのは撮影の幅が広がる。
・電子シャッター。まだ試し撮りをした段階だが、神経質な生き物を撮ったりするときには無音の電子シャッターは便利に使えそうな感じ。シャッターショックがないのも良い。
・全体的なカッチリ感。マグネシウムボディを採用しているだけあって、がっしりとした道具としての信頼感のようなものが感じられる。一眼レフならばエントリークラスの大きさなのに中級クラスのがっしり感があるのが面白い。

<デメリット>
・大きく重いボディ。大きさはともかくとして、重さが問題。持ち運びの際に重いのも困るのだが、姿勢的に苦しいアングルで長時間構えたり場合によっては片手でカメラを持ったりすることすらあるわたしにとってはGH3は少々重い。また、持ち歩きの際にGH3+マクロエルマリートではブラブラして邪魔になる感がさらに悪くなる。
・再生ボタンの位置。個人的にはこれがGH3の最大の欠点とも思えるのだが、再生ボタンを押すためには左手を離さなければならない。カメラを構えたままEVFで撮影画像を確認できるメリットが相殺されてしまう。(ただし撮影直後の画像を確認するだけなら撮影後のプレビューをホールドに設定すれば再生ボタンを押す必要はない)
・コマンドダイアルをプッシュして機能を切り替えることができなくなった。DMC-G1では構えを崩さずに同じダイアルで絞り操作と露出補正をシームレスに行えるのは結構便利だった。が、これは慣れの問題だろう。
・GHシリーズの特徴の一つだったマルチアスペクトがなくなった。個人的にはここも大きながっかりポイントで、GHシリーズを手に入れたら超広角を16:9で撮るのを楽しみにしていたのだがその夢は潰えてしまった。
・ISOが200スタート、シャッタースピードが1/4000秒。絞り開放付近を多用するわたしとしては、ISOは100始まりかシャッターは1/8000秒まで欲しかった。スペックダウンしたわけではないが、ハイスペックを名乗るのであれば1/8000秒はあっても良かったのでは。

<メリットともデメリットともなりうる微妙な点>
・EVFの性能。ファインダー倍率がやや小さくなったのと綺麗に見ることができるポイントが狭いのが少々苦しい。が、ポイントの狭さに関しては慣れで何とかなりそうなレベルか。有機ELの見え味や解像感はさすがに素晴らしく、時代による進歩を感じる。
・グリップの形状。普通にアイレベルでホールドするにはこのグリップは素晴らしい。サイズも形状も絶妙。が、フリーアングル液晶を活かして目から離してホールドする際には大きなグリップはむしろ持ちにくくなってしまう。どちらが良いとか悪いとかではなく、何を重視するのかという問題。
・プロも使う優れた動画機能。これは普通に考えれば立派なメリットなのだが、動画に関してはまるっきり素人のわたしにとってはGH3が持つ最高クラスの動画性能は猫に小判であまりにももったいない。(動画も撮れるようになれという天の声かもしれない?)
・シャッターボタンの感触。クリック感や重さをどうするのかは非常に微妙な問題で、ヒエラルキーと立ち位置が確立されている一眼レフとは違ってミラーレスでは正解はないと思う。が、GH3は明らかに玄人向けをアピールしてるのだから、ハイエンドとしてクリック感のないシャッターボタンを採用しても良かったのではあるまいか。AEロックボタンを親指AFとして使いシャッターボタンは半押しでレリーズする設定にする手もあるのだが、ダイレクトフォーカス移動している時には親指AFが動作しないなど細かな使い勝手に問題がある。

いろいろと挙げてみましたが、デメリットで挙げた点はGH3がハイエンド的な雰囲気を前面に出してきたためについ厳しめに見てしまいがちになるので重箱の隅をつつくようなものになっています。今のところ、わたしにとっては全体としては満足度の高いカメラです。
また、デメリットを減らすために工夫の余地はまだいろいろとありそうです。例えば持ち歩きの際にブラブラさせないためにスリングバッグb-grip EVO カメラベルトホルダーのようなものを使う、EVFの的確なポイントを素早く覗けるように練習をする、目から離したライブビュー撮影でのホールドを工夫し練習する、などなど。

頑張ってマイクロフォーサーズのフラッグシップたる本機を使いこなせるようになりたいと思います。せっかく動画性能も高いカメラを手に入れたので、いずれは動画もやってみたいなとも思いつつ・・・

Posted on 2013/04/16 Tue. 13:28 [edit]

thread: デジカメ

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

Panasonic Lumix DMC-GH3について。 

Longhorn beetle
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)
注:写真と本文は関係ありません。

世の中には様々なカメラがあります。コンパクトデジタルカメラ、一眼レフ、携帯についているカメラ、トイカメラ、などなど。それぞれのカメラにはそれぞれに求められる機能や存在意義があり、写真を撮るという行為に多種多様の存在意義を与えます。

その中においてレンズ交換式カメラシステムに求められる機能は、まずは写真をある程度気合を入れて撮ることだろうと思います。とりあえず写っていれば良いという程度なら携帯やコンデジで良いですし、楽しく撮りたいだけならトイカメラでも良いわけです。そうではなくてあえて大きく重く高価で面倒くさいレンズ交換式カメラを使う理由があるのならば、きれいな写真(技術的にある程度整った写真)を撮りたいという意図があるのだろうと思います。

さらにその中でも徹底して真剣に撮りたい場合もあれば、ある程度カジュアルに撮りたい場合もあるでしょう。ミラーレスカメラはどちらかというと後者寄りのカメラとして考えられていることが多いだろうと思います。携帯性やスタイル重視、持っているだけで楽しいようなもの。それが多くのメーカーが考えるミラーレスカメラでしょう。それはつまり、真剣に撮りたい場合には別に一眼レフを使うという前提があるからです。写真を真剣に撮るということを考えた場合、あくまで一眼レフが主でミラーレスが従なのです。

ではその前提を崩すとどうなるのか。あくまで写真を真剣に撮るための道具に徹したミラーレスカメラがあっても良いのではないか。そういう発想で出てきたのが、今回パナソニックから発表されたDMC-GH3だろうと思います。この発想の萌芽はミラーレス第一号機であるDMC-G1の時にすでに垣間見えていました。カジュアルなエントリークラス向けのカメラとしては妙に一眼レフ寄りのデザインでしたし、ダイアルやレバーの数が多いのです。小さくて軽いけれども決して単なるエントリークラス向けのカメラではないという意図が透けて見えるようなカメラでした。

DMC-GH3は、そういう方向性の野心がついに結実したボディだろうと思います。このカメラの特徴は、驚くほど道具に徹したデザインです。前機種のGH2までには見られていた、カジュアルっぽい雰囲気も一応漂わせておくという擬態めいた戦略が今回では完全になくなりました。どこからどう見てもストイックな、写真を撮るための機械です。
ストイックなデザインであるばかりでなく、ボタンの配置なども非常によく考えられて洗練されたものになっています。例えばシャッターボタンの後ろにWB、ISO、露出補正ボタンが並んでいますが、これはいずれも絵作りに関係するボタンです。その他の機能は他のボタンやダイアルに任せて他の場所に配置してあります。
リアダイアル周囲の形状、フォーカスレバーの位置、動画ボタンの位置。いずれもなるほどそう来たかと唸るようなものになっています。

大変失礼ながら、あのパナソニックがここまで機能的に洗練されたボディのカメラを出すのは個人的には非常に驚きでした。今までのボディは頑張りや意図はわかるけれどもどこか微妙に残念なところがあるのが定番でしたが、GH3にはほとんど隙らしい隙が見当たりません。ひたすらストイックに写真を撮るための道具であることを追求しています。一眼レフでは当たり前だった世界観がミラーレスの世界にもようやく来たといったところでしょうか。

これは非常に良い傾向だと考えています。ミラーレスカメラも写真を撮るためのシリアスな道具でありうる時代がやってきたのです。

Posted on 2012/09/21 Fri. 15:41 [edit]

thread: デジカメ

janre 写真

tag: ひとりごと  マイクロフォーサーズ  カメラ 

視点と視野について。 

Swallowtail
(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

視点と視野。
写真を撮る人にとっては意識するのが当たり前のことかもしれませんが、今回はそれを考えてみたいと思います。

写真を撮る上で非常に重要なのが、どこから撮るのか(視点)、どの程度の範囲を撮るのか(視野)ですが、これらは当たり前のようでいて本当に徹底しようとしたら非常に難しいことだと思います。

例えばその辺で手頃な昆虫を見つけて真横から大写しで撮ろうと思ったとします。虫ですから自分から横を向いてくれるはずもありませんし都合の良い高さに移動もしてくれませんから、自分で真横から取れる位置に移動して適切な高さに手ぶれしない姿勢を作ってカメラを構えなければなりません。
それはそれで大変なことではありますが、これは肉体的に大変だというだけであって写真を撮る上では本質的な問題ではないと考えています。もっと重要なことは、本当に真横からのアングルで大写しで撮るのが正しい撮り方なのか、ということだろうと思います。

斜めから撮るべきかもしれませんし、真上から見下ろしたり下から見上げたりするべきなのかもしれません。もっとぐっと寄るべきなのかもしれませんし、思い切って下がって背景を活かすべきなのかもしれません。これは被写体の形にもよるでしょうし、その場の光の当たり方や背景の状況によっても違ってくるでしょう。

以前目にしたブログで「50枚ドリル」という練習法を実践しておられる方がいらっしゃいましたが、これは素晴らしい練習法だと思います。要は同じ被写体を違うやり方で何が何でも50枚撮りきるという練習法なのですが、これは言うなれば強制的に視点や視野を変えて撮る練習です。これを繰り返せば、一見まったく同じ被写体であっても撮り方によってその表情がまったく違ってくるということがよくわかるようになるでしょう。「同じものである」というのは脳が勝手に同じものだと認識しているだけであって、実際に目にする光景は視点や視野によって全然違うものになったりするからです。同じチョウであっても、横から見たのと後ろから見たのでは全然イメージが違うのです。
撮っていくうちに始めに考えた撮り方が間違っていたことに気がつくかもしれませんし、最初の直感が正しいかもしれません。答えは一つだけではなくていくつもあるかもしれません。その時は答えが見つからなくても、時間帯を変えるともっと良い答えにたどり着けるかもしれません。
答えにたどり着くのも大事なことですが、もっと大事なのはその過程でしょう。つまり、こういう訓練を積み重ねることによって、視点や視野を大きく変えて物事を多角的に見るという考え方を身につけることができるのです。これはあらゆるシチュエーションで有用な考え方だと思います。

一つの考え方や方法に固執するのではなく、なるべく柔軟に被写体をいろいろな視点や視野で見ることによって、より良い結果を得られる可能性を引き出すことができるだろうと思います。

Posted on 2012/05/22 Tue. 13:13 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

ブラックボックス。 

Sakura #2
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

カメラの進歩とは何だろうと考えた場合、いろいろな見方があるだろうとは思いますが、一つの視点として「ブラックボックス」との戦いであったということが言えるかなと思います。

これはどういうことかと言いますと、昔のカメラはフィルムを現像してみるまで何が写っているのかわからない、そもそもちゃんと写っているかどうかすらよくわからない代物だったわけです。
素通しのファインダーで見てピントを目測で合わせて露出も勘で撮った場合は、ピントが合っているかどうかわかりませんし、出来た写真は真っ白だったり真っ黒だったりするかもしれません。枠だけのファインダーでは撮影範囲も正確ではありませんから、余計なものが写っていたり欲しいところが写っていないかもしれません。

ところがカメラは進歩して一眼レフという機構で撮影レンズを通した光景を見ることによってピントや被写界深度や撮影範囲をかなり正確に確認できるようになり、露出計を内蔵し自動露出機能を得て真っ白や真っ黒写真を撮ってしまうことはなくなりました。
このようにカメラは進歩するにつれて撮ってみなければわからないという部分、つまりブラックボックスの部分をどんどん減らしていきました。

特に一眼レフの機構は優れていて従来の機構が持っていたブラックボックス的な部分をかなり払拭はしましたが、一つ問題が残りました。内蔵露出計と自動露出機能で真っ黒や真っ白写真を撮ることはなくなったとしても、一眼レフの光学ファインダーでは写真がどのくらいの明るさで写るのかまではわからないということです。写真は絞りとシャッター速度の組み合わせによって明るく撮るのも暗く撮るのも自由ですが、光学ファインダーは明るいところでは明るく見えて暗いところでは暗くしか見えません。

写真とは必ずしも目で見えた通りに撮るばかりではなく、あくまで光を使った表現の一種だと考えれば、肉眼で見たままにしか見えない光学ファインダーは写真を撮るためのプレビュー機能としては不完全なものであると言えます。光学ファインダーで確認できるのは、適正露出からどのくらい離れているかという画面外での目安程度しかありません。目安だけで撮るという意味では、目測ピント機でピントを合わせるのと似たような状態とも言えるでしょう。
光学ファインダーにとっては、明るさに関してはブラックボックスのままなのです。

この問題を解決できる能力を持っているのが電子式ファインダー(EVF)、つまりミラーレスカメラのファインダーです。
EVFは写真が明るく写る設定にすれば明るくなりますし、暗くすれば暗くなります。これは特に輝度差が大きな場面や、意図的にどこかを明るくしたり暗くしたい時に有効なものです。
EVFにとっては、写真の明るさはもうブラックボックスではありません。写真を撮るにあたってのブラックボックスがまた一つ減ったのです。

ミラーレス時代のファインダーは、ピントや撮影範囲を合わせるためだけのものではなく、明るさを合わせるためのものでもあると言えるでしょう。ファインダーでピントや撮影範囲を合わせるのは当たり前のことですが、それらと同じ感覚でファインダーで明るさを合わせるのも当たり前という時代になるのでしょう。

Posted on 2012/04/16 Mon. 13:43 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  カメラ  マイクロフォーサーズ 

カメラのデザイン。 

Dandelion
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

今回はお散歩マクロに最適なカメラのデザインはどういうものかについて考えてみたいと思います。
これまではカメラの中身、つまり機能や性能的にマイクロフォーサーズを始めとしたミラーレスカメラがお散歩カメラとしていかに優れているかについていろいろと書いてきましたが、今回はカメラの外側、デザインについて考えてみます。

お散歩マクロに有用なものとして、電子式ファインダー(EVF)とフル可動の背面モニター(いわゆるバリアングル式)がまず挙げられます。これらがお散歩マクロを撮るにあたっていかに便利なものであるかはこれまでの記事で何度か書いてきましたので詳しい説明は割愛しますが、この2つは搭載されているのが前提として話を進めます。

まずグリップの形状。ミラーレスは小型ではあってもレンズ交換式カメラですから、右手で持つ部分に関してはしっかりしたグリッピングや取り回しを考えるとコンデジのように完全に平らなものではなくてある程度の出っ張りはあった方が良いだろうと思います。では一眼レフのように大きなグリップであれば良いかというと、そうではないというのがわたしの考えです。ミラーレスカメラでは手持ちで背面モニターを使ったライブビュー撮影も得意分野なので、それを活かすためにはライブビュー撮影も視野に入れたグリップ形状が望ましいと思います。一眼レフのように大きなグリップでは手全体でグリップを握りこむことによって手首が固定されてしまい、せっかくアングルが自由になるライブビュー撮影のメリットを十分に活かせなくなってしまうのです。一眼レフではライブビューは必要ないと言う人がたくさんいますが、それはつまり一般的な一眼レフはライブビュー撮影を視野に入れてデザインされていないのでライブビュー撮影がやりにくいからです。ライブビュー撮影そのものが悪いわけではありません。
ファインダーと背面モニターの両方を使ったグリッピングを考えると、グリップはサイズが大きすぎず前に出っ張り過ぎない若干平べったい感じのものが理想だろうと思います。確実にグリップできることと、自由な角度でグリップできること。これは相反するものですから、そのバランスをいかに上手く取るかがポイントになってくるでしょう。

次にモードダイアルの位置。お散歩写真では気軽に撮ったり気合を入れて撮ったりと、状況に応じて写真に対する集中力が柔軟に変化します。その集中力の変化に応じてプログラムモードや絞り優先モードなどを簡単に切り替えられるようになっているのが望ましいです。撮っている最中にもここはきっちり追い込むべきだと気持ちが切り替わることもありますから、ダイアルの位置はグリッピングの形を大きく崩さずに簡単にモードを変えられる場所、つまり右手の親指を少し伸ばせば回せる場所にあることが望ましいと思います。
(コマンドダイアルはもっと重要ですが普通はコマンドダイアルが変な位置にあることはないのでここでは触れません)

そして各種ボタンの位置。お散歩マクロは撮影条件が厳しいことが多く、ISOやAFポイントなどを頻繁に微妙に操作する必要があります。ボタンが不規則に散らばって配置されていたり、カメラを構えたままでは指が届かない場所に配置されていたり、人間工学を無視しておかしな場所に一直線に配置されたりしていると、そういった微妙な操作に支障をきたします。構えを大きく崩さずに軽快に確実に操作出来る位置にボタンが配置されているかというのは重要なポイントです。

ミラーレスカメラはその構造上、精密な撮影が得意であり、撮影アングルの自由度が非常に高いという特徴があります。精密かつ自由であることは、お散歩マクロにおいて非常に強力な武器となります。これらのメリットを十分に活かすにはカメラの中身の性能を上げるだけでなくデザインでその機能性をアップさせるというアプローチも必要だろうと思います。
最近ミラーレスのデザインにおいて機能性よりも外観上のインパクトなどを優先させる傾向が一部に見受けられますが、今後ミラーレス市場が成熟してくればミラーレスとしての機能性を洗練させたデザインのボディももっと出てくるものと思われます。それはすなわち写真機として新しい方向への更なる進化を意味します。そうなれば、お散歩マクロのみならず写真の世界はさらに一歩前に進むことが出来るでしょう。

Posted on 2012/04/10 Tue. 14:16 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真  マイクロフォーサーズ  カメラ 

現実と虚構。 

Sakura
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

何だか小難しいタイトルが続いて恐縮ですが、特に難しい話ではありません。

突然話が飛びますが、例えばSFものやファンタジーものの映画で、第1作が面白かったのに第2作以降がいまひとつだと感じることはないでしょうか。
これにはもちろんいろいろな理由があると思いますが、第2作以降はあまりにも虚構の世界に始めから浸かりすぎてしまうので主人公や世界観に今ひとつ感情移入できなくなってしまうというのも理由の一つに挙げられるのではないかと思います。
いきなり非現実的な話が炸裂してもたいていは視聴者がついていけませんから、第1作においてはまずは現実っぽい雰囲気から徐々に虚構の世界に連れて行くという手法をとるものが多いだろうと思います。が、第2作以降で同じことを繰り返すわけにもいきませんから第2作では第1作の後半で連れていった場所からさらに先に行かなければなりません。つまり現実世界から始めから離れてしまっているわけで、そこで置いて行かれたと無意識のうちに感じる視聴者もいるのではないかと想像します。
いかに虚構の物語であっても、深く感情移入するためにはそれなりに現実的なテイストは必要なのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、これを写真に置き換えて考えてみます。

写真の場合は逆に現実世界を切り取っているものが多いのですが、まさにリアルな日常的現実世界だけを切り取った写真、これはあまり面白いものではないでしょう。例えば朝ごはんに毎日納豆を食べている人が納豆を普通に正面からどどーんと撮った写真を見たとして、重度の納豆マニアでもなければその写真に衝撃を受けて感動するとはちょっと考えにくいです。
(余談ですが、チラシなどでよく見る広告写真などはさすがにプロの仕事ですごいものが多いですが、写真マニアならばともかく普通の人はそういうところで感動はしません)
逆に完全に現実世界から乖離している虚構的な写真というものを考えてみます。例えばマクロ写真でボケボケにぼかして何が写っているかすらよくわからないような写真。これは色合いなどを漠然としたイメージとして何となく楽しめることはあるでしょうけれど、それに心から感情移入するのはちょっと難しいでしょう。やはり何らかの現実世界とのつながりがあった方が作品世界に入り込みやすいだろうと思います。

写真は「真を写す」と書きますが必ずしも現実のみを写しているわけではなく、実際には上記のマクロ写真のように現実世界ではありえないものを写すことも簡単にできます。特にマクロ写真においては現実世界を写真に的確に反映することの方がかえって難しいくらいです。
つまり、写真においても現実と虚構の関係は存在するということが言えるだろうと思います。

上で挙げた映画だけでなくマンガや小説などにおいても現実と虚構をいかに上手く織り交ぜるかというのは創作における重要なテーマだと思われますが、写真においてもそれは例外ではないと思います。映画が脚本やCGなどで現実と虚構を巧みに織り交ぜるように、写真家は絞りとシャッター速度を操って現実と虚構を織り交ぜるのだと思います。そういった撮影テクニックの他にも、例えば被写体の選択も同じだと言えるでしょう。めずらしい物を撮るのは日常世界から意識を離すということです。それもまた一種の虚構であるとも言えるでしょう。

思いっきり現実的な写真を撮るのは簡単です。また、思いっきり虚構的な写真を撮るのも簡単です。難しいのは、その両者をほどよく織り交ぜ、バランスをどこで取るのかを見極めることでしょう。そのバランスをうまく取ることができた時、十分に感情移入できてなおかつ退屈ではない写真が得られるのだろうと思います。

Posted on 2012/04/08 Sun. 22:12 [edit]

thread: お散歩写真

janre 写真

tag: ひとりごと  写真 

「表現」とは何か。 

Spring has come
(camera: Panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)

いきなり大上段なタイトルで恐縮ですが、哲学的な話や深遠な話をしたいわけではなくて、意味がわかりきった言葉のように思える「表現」というものをちょっと考えてみたいという話です。

写真における表現とは何でしょうか。
ファインダーを通して自分で感じたもの、つまり自分の内面を写真にして外に出すことであるとは言えるでしょう。では、それを外に出せればそれで終わりなのでしょうか。
この問に対する答えは、ジョン・レノンの奥さんとしても知られる前衛芸術家のオノ・ヨーコさんのQ&Aがとてもわかりやすいので引用させていただきます。

Q「今までの芸術活動において、人に認められたいと思ったことはありますか?」
A「芸術家にとっては、自分の作品が人と話す「言葉」なのです。だから、作品で何か言っても聴いてくれる人がいなければ、よく駅なんかで立って、独り言を言っている人と同じになります。ヨーコ」

つまり、写真で言うならば、撮ったものをただポンポンと並べた見せっ放しではダメということですね。それではヨーコさんのおっしゃるように、駅でブツブツ独り言を言っている人と同じ事でしょう。どうやったら自分の感動を人と分かち合うことができるのかということを考えて、自分の作品を主観的なだけでなく客観的にも見て練り上げた上で出すのが表現者としての努めと言えるのではないかと思います。
これは写真だけでなく、ブログやTwitterなどでも同じ事だろうと思います。自分の言いたいことしか言わないのであればそれはどこまでいっても単なる独り言であって、表現とは呼べないでしょう。表現、つまり表に現す以上は、現す相手というものがあるわけです。その相手を無視するのであればわざわざ表に現す意味がありませんから、駅まで行ってブツブツ独り言を言うのではなくて自分の部屋でブツブツ言っていれば良いわけです。表現とは表現者の思いを一方的に垂れ流すのではなく、一種のコミュニケーションであるべきだろうと思います。

これはプロならば当たり前のことでしょうが、アマチュアであってもやはり同じことだろうと思います。
自分の部屋でブツブツ言うのではなくて外の世界に出るのであれば、表現者ということではプロもアマも同じ土俵に立っているわけです。自分の部屋でブツブツ言っているようなことを人にも聞いてもらいたいというのは少々虫が良すぎるのではないかなと。外に向かって何かを言いたいのであれば、「表現者」であるための最低限の努力はするべきだろうと思います。

写真においてその努力はどういうものかと考えれば、自分が感じた感動などをどうやったら人と共有出来るのかを考慮に入れることだろうと思います。どこに感動したのかということを自分の中で整理して、そのポイントを端的に的確につかむこと。つかんだものを過不足なく写真としての形にすること。
それがきっちりできれば、「表現」としての良い写真が得られるのだろうと思います。

Posted on 2012/04/07 Sat. 00:20 [edit]

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